………Oh デカルト(-ω-;)…
昨日の続き
私は一昨日私達の子供達が通う私立小学校に呼ばれて講師料払うから (=^..^=)ミャー
「AIが存在する教育現場で必要とされる教育と教育者」と言うお題で語れと言われ、
この濃すぎるおじさん…デカルトの
「我思う、故に我あり」
つまり、
全てに疑問を持って「自分の頭で“考える”」事を子供達に教えよう!と
自分達のChatGPT使用経験をもとに話したよ
………音声録音から超抜粋編集
所詮AIは知っている情報量が非常多く、知っている情報を組み合わせ、問題解決、目標達成の能力が超高いと言うだけ
もちろん情報量や処理能力では一人の人間では絶対に適わない、だから人はAIに不可能な
「考える事」って行為を行う事が重要なの
考える…
ここで登場するのがデカルトの「方法的懐疑」だよ
子供達がAIの解答を含めた様々な情報を集め、疑って、自分の頭で考え、自分の意見を持つ事を身につけさせる……
自分の頭で考える習慣が出来ると「一を聞いて十を知る」つまり
AIが出した、全くジャンルが無関係な二つの答えから、今まで無かった問題解決方法を生み出す事ができるようになるからだよ
これが出来ない社員や教師はAIに置き換えられるかも
何故ならただ単に「数多くの事を知っている」って者の価値は下がり続け、終いには不要になるから
私はそう思います………
まあそんな感じで話を閉めた
読者の皆さんはどうですか?
デカルトみたいに全ての情報に疑いを持って自分一人で考え、咀嚼して自分の考えを持っていますか?
もちろん反対意見を導き出すって事じゃ無い。考えてその意見や解答が正しいってのは普通にある
大切なのはAIには出来ない
「自分の頭で考える」って事なんだって私はおもうの………
………桃子の日誌…