……金魚の葬式を執り行う会社の会議…
読者の皆さんの中にも動物家族 (伴侶動物) が「虹の橋のたもと」へ旅立った方も多いはず
送り方は家族それぞれなんだけど、
何故か最近、私達の会社では動物家族のエンゼルケアと葬儀の依頼が増えたの( ̄0 ̄)
(そもそも伴侶動物の葬儀はやってない)
まあ、これらの施行は利益も少なく、頼まれて副業の更に副業みたいな感じでやってるんだけど、問題がある
昨日はそれらを解決し、利益を最大化する為の会議を開催したよ。ヾ(^^ )
斎事を行う場所は問題なし
火葬の技術的な問題は、この金魚の火葬での
金魚の葬式……2万円( ̄△ ̄) - 死体を愛する小娘社長の日記
「高温過ぎて骨が残せない」と云う失敗の後、火葬技術が積み上げられていてほぼ解決
あとは爬虫類を如何するか?って事だけかな
でもね、それら技術やインフラなんがより、
私達が動物家族の葬儀を執り行う事の根幹となる考え方 (フィロソフィーってやつ) の方が重要で
これがしっかりしてないと、ガバナンスがガバガバになり…連鎖的に葬儀施行までも利益のみを追及する下劣なビジネスになるからなんだよ
それを解決するのは
「祈り」だ
私達の会社は「祈り」って言うフィロソフィーの大地に「共感」って言う大木を育て、宗教や心情など、それぞれの遺族に対する「葬送」の枝を育てて行くんだけど、
動物家族の葬儀で、人が作った宗教が絡まった場合「動物家族と人はあの世で一緒に住めない」って大問題がある。
でもね……人と神と、あるいは自然そのものと一体になり、通うはずの無い思いを通わせるものがあるの
「信仰など入る余地も無い“祈り”」なんだよ
そもそも祈りや弔う気持ちや方法を「こうじゃ無きゃならない」ってのは結局、自己満足なんだ。もちろん宗教もね
だから宗教を“都合よく枝を紐で結んで繋げたもの”じゃあ無く
『祈り』を土壌とした新しい「おくりかたのフィロソフィー」を作るしか無いのか……?
『そうだね、ボス、精霊信仰まで掘り下げ、私が急いで作るよ』とキャンディが言った
………運転手のおじちゃんが子供の頃、動物家族は飼い主が庭に穴を掘って土葬が普通。それがどんどん形が人間の都合や欲望で、人間の葬儀に近くなっていく。
それは動物家族を亡くした遺族の要望で生まれた私達と同じムジナ……動物葬斎業者だね。
おかげでビジネスになってしまったけど、貴方の心に「祈り」がある限り、どんなおくり方でも、亡くなった動物家族は“虹の橋のたもと”で大好きな貴方を待っていてくれるよ
何時までも、何時までも、
貴方が橋のたもとにやって来るまでね
…………桃子の日誌…