死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

“どんだけ甘えてんねん!!” 怒る阪神大震災の被災者…2部長泣く

 

 

あんたら!!

どんだけ甘えればいいねん!ヤー!!!

 

 

昨日、初めてあんなに怒る営業2部長を見た…

 

 

私と統帥局長(後輩社長)は、東北震災の直後から…私は仕事、局長はボランティアで被災地に大きく関わり

 

 

総務局には

避難所と遺体安置所で、私と知り合った被災者の女の子が一人働いている

 

 

「あなたも町はどうでも良いんだね」

 

「それに何故、葬儀社なの?」

 

「そんな所辞めて帰って来い!」

 

 

    まぁ…今現在、完全な絶縁状態

 

 

 

このままで良いワケが無く…

 

「ひょっとしたら関係改善出来るかもと?」

 

専務が無理矢理アポを取って、私、専務、営業2部長、顧問弁護士で挨拶に行った………

 

 

 

……………復興は進んで

震災直後、私と後輩社長が居たときの景色は無く…何かこう…白々とした感じがする。

それと猛烈なアウェイ感………

 

 

 

社員の実家に夕方過ぎに着いて両親と面会。

お母さんは…まぁ普通のオバサンだけど、お父さんが、上げ足取りのモラハラで変人…

 

 

今に至る経緯や娘さんの様子などを話すが…

 

 

話の節々に

 

「俺は震災被災者だぞ!」

「被災者に向かって何て事言う、非常識」

「葬儀屋なんて仕事はダメだ」

 

 

と、云う感じが伝わる。

 

 

それより

「俺は1000年に一度の震災にあったんだぞ!凄いだろう!」

 

 

と、震災に遭った事を自慢している様にしか思えない物言い…

 

 

腹が立ってきて…

帰るぞ!!と皆に云う前に……

 

 

『あんたら!!
  どんだけ甘えればいいねん!ヤー!!!』

 

私も阪神淡路の被災者やけど、あんたらみたいなウジウジ云っているもんおらへん!!

甘えんな!!

 

と………

 


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私達が忘れられない2部長の言葉…Σ(・ω・ノ)ノ

 

 

勿論、この後、

父親と私とお母さん顧問弁護士が、2部長を無視して……お母さんと専務が困り果てる口喧嘩をした。

 

 

まぁ、私と顧問弁護士くらいの根性が、野田市教育委員会の能無しどもにあったら、女の子は死ななかっただろう

 

 

当然、

 

「私達や娘さんに何かしたら、今日の物言いを訴えるからな!!証拠はあるぞ!!」

 

 

と、ガッツリ恫喝して帰路についた………

 

 

 

………………車までの道…

 2部長…泣いていた…………

 

 

私はつい最近と云うか一昨々日まで、当時、まだ3歳位の2部長が阪神淡路大震災の被災者だと頭の片隅にも無かったよ………

 

「力になれるかも」「避難所で上皇上皇后陛下に声を掛けられたよ」って本人は云ってたけど、連れて来なければよかった

 

 

あんな親父や、玄関先で聞き耳を立てていた近所の連中……

1000年に一度の震災で、死んでしまえばよかったのに……本気でそう思ったし

 

 

 

被災者団体への支援を打ち切ったのは正確だった

 

 

 

 

専務は直ぐに、被災者女の子に連絡し、

 

 

「母親に父親が DVするなら、全部私達が面倒を見るから、直ぐに家を出ろと言え!」

 

と電話してる

 

 

これは…女の子

家には居られなし、居たくないって…………

 

この父親は

震災を、自分に都合よく利用しているって以前の問題だよ

 

 

 

 

…………帰路…

音楽葬でのミニコンサートのリハーサル

後輩社長のバンド「シュレーゲ・ムジーク」

 

路地裏の子供たちは

知らぬ間に 大人になって

 

本当の 愛のことを

少しずつ 知り始める

 

 

山下達郎の「街物語」を演奏している

歌詞が染みた……………

 

 

 

…………………これで腹は括った

 

 

   私があの被災者の女の子の

        人生全ての面倒を見る

 

 

 

今回の件で…

 

東北地方太平洋沖地震の被災者を見る目も、すっかり変わってしまった

 

 

 

被災者の女の子よりも遅かった様だけどね…

 

 

………………追記…

 

すっかり忘れてた

今日はアメリカ海兵未亡人の婆ちゃんの“終の住処”の問題解決だよ………

 

は~~ぁ 私、何やってんだ………