死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

私が思う『命と自殺』の総論。自殺がダメな理由

 

松本 人志氏が『死んだら(自殺したら)負け』とTwitterに書き込みをして様々な反応が出ている。

 

ただこの『死んだら負け』と言う言葉は、自殺直前の人を止めるだけの力など無い。

そんな勝ち負けなんて考える為の思考の隙間など残ってないからだ。

 

 

私は仕事柄…病院、事故、首吊り、飛び降り、飛び込み、ガス中毒……など自分から死んだ死体と対峙したり、稀に会話したりする。

 

自殺した人間は皆『もし…こうなら死なずに済んだ…』と思って死んだ。

 

『死にたい』のと『間もなく死ぬ事を受け入れる(死を受け入れる)』のとは違う

最初から死にたかった人間など誰一人いない

 

 

あらゆる『死』は等価値ではあるけれど、自分が死んだ時の、自分を取り巻く状況というファクターが掛かけられると…

その死には明らかにランクができる。

 

その中で最低ランクの死に方が

 

        『自殺』だ。

 

最初に言っておくけれど『切腹』や『特攻』は自殺ではない。

これらは体の良い『殺人』だ。

 

 

以前私は『いただきます』と『ご馳走様でした』の意味を記事にした。

 

however-down.hatenablog.com

 

この中で全ての生き物は、自らが生き続ける為に、ほかの命を殺し続けると書いた。

 

今まで何百……植物も合わせると何千以上だろう……私達一人ひとりが殺した数は……

殺した動植物もまた生きる為に他の動植物を殺し続ける。

食われた者たちも本当は皆、長生きしたかったのに…

 

これが地球全ての生物の『公理』であり

なんとしてでも生き続ける事もまた『公理』

 

つまり命とは『自らが生きる為、利己的に奪い取った命』の集合なのだ

その中で……公理を守らず

自ら死を選ぶ事が出来るのは人だけ。

 

 

ゆえに…自殺とは

今まで自分が、生き続ける為に殺し続けた他の命を全て無駄にする

無駄にされた者たちの全てを『犬死』としてしまう行為だから。

 

『死んだら負け』と言う言葉に

 

「遺族や関係者に追い打ちをかける言葉」

「死者への冒涜」

「自己責任論につながる」

「まず加害者側を批判すべき」

「死なないための具体的な解決策を提案すべき」

 

2018年10月19日 20時30分 スマダン

特に『死なないための具体的な解決策を提案すべき』と言う連中、自分の行動で一人でも自殺者を救ったか?

私や私達の会社は救っているよ。

 

何を思い何を言うのは勝手だけど…恥ずかしい

 

 

そして彼らは『自殺した者』は『殺し続けだ命を冒涜』する事がわからない。

 

自殺したあのアイドルの女の子の境遇は可哀想だし、追い詰めたあのバカ社長は

社会には不要な人間だから粛清してしまえと思うけど

 

自殺を実行すると言う事は

『自分が今まで生き続ける為に、殺し続けたり命と、自分の代わりに殺し続けてくれた人々の行為を冒涜する事』

 

これは、サラリーマンの自殺だろうと、小学生の自殺だろうと同じ事、

 

    『あらゆる命は等価値』だから。

 

 

世の中はハラスメントに溢れた『不公平で差別社会』だ。それが次々と目の前に現れる。

これからも変わる事はない。

 

これは戦いと同じ……だから

  『自殺したら負け』になってしまう……

 

有効な対策もない。だから『死ぬな!』と言うしか無いのだ


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     生き抜くって………辛い……