死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

ホントに死にたいの??

 

私と同じ、髪が長~い

   お姉ちゃんの死体…( -_-)o

 

 

今、インスタントコーヒー飲んでる私の前で寝てる

 

 

 

昨日の朝には生きていたお姉ちゃん

 

首には紐の跡と引っかき傷

苦しくなって死ぬ気が失せたのに…もう遅い

 

 

   この様な事を「自己責任」と云う

 

 

 

私は自殺の半数は

自殺パフォーマンス中の事故と何度も書いた

 

飛び降り自殺は、死ぬ気のあるヤツは足の裏から着地して…あしの骨やら何やらが皮膚から突き出る。

 

 

 

しかし…途中で飛んだ事を後悔したり

足が滑った場合……

 

空中で藻掻いて頭や手の平から着地して、脳みそを辺り一面にぶちまけて、顔は無い

 

 

電車の人身事故は様々かな

死ぬまで一番時間が短いからね

 

 

これらの行為に至るまで、様々な事象の要素があるのだけれど

 




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全部、自己責任と日本では云うことが出来るのですよ。

 

 

 行為を実行したのは「自分自身」だからね

 

それが日本ってモンだ

 

 

 

普通の人が死ぬ総合病院や、ホスピスでも似たような事が起きる。

 

危篤状態になった時、延命治療は行わないとか言ってるけど、ヤッパリ死にたくない……

 

記事に書いた「ラブレター」を歌ったおじちゃん、乳癌の末期のお母さん……

私は何人も知っている

 

 

これら延命治療をしないと言ってた人が危篤状態になって、声は出せないけれどまだ意識は在る。

 

その時「死にたくない」と思っているのに、家族が「延命治療は行わない事になってる」って、本人の前で医者に言ったら……

まだ生きていたいのに死んじゃった

 

これも「自己責任」って言えるな……

 

 

 

でも医者は、家族の代理の嘱託殺人を請け負ったとも言える

 

医者にしろ家族にしろ、患者本人が死にたくないのに延命治療をせずに殺したのだから。

 

 

そして消極的でも

その患者が死ぬ事に関わった言い訳に「患者の自己責任」って云うのですよ。

 

 

 

では……

最近のトレンド「安楽死」はどうだろう。

 

 

以前、総務局と後輩社長宅で子供達を入れて討論を行ったけど

 

総務局は安楽死は認めない。

後輩社長宅は日本も認めるべき……となった。

 

 

これはね…第三者の「もう間もなく死ぬ人」と「死んだ人」との接触の有無と、議論の結果に感情や同調意識が含まれているか?いないか?

その差だな……

 

      私も総務局と意見は同じだ

 

 

 

安楽死は延命治療拒否とは違い

積極的に患者の死ぬ事にかかわる

 

 

 

もし、自分の安楽死を自分で行うのであれば安楽死の行為中に「ヤッパリ止めた」とやめる事は可能かも知れない 

 

しかし………死ぬギリギリで死にたくないと思った時にはもう遅い

 

 

 

これ、誰かの手を借りて安楽死行為を行った場合は更に悲劇だ。

 

死ぬ直前に…生きたいと気が変わったのに、声も出せず死んで行く

殺されたと思っても不思議ではないね。

 

 

病気や自然死では無く人がする行為によって死んで行く場合、

死に逝く人が死んだ直後まで「死にたい」「死ねて嬉しい」と思わなければ……

 

思っていた事を証明できなければ……

 

 

  安楽死では無く、自殺か殺人なんですよ

 

 

人はね……他の生物と同様

「生きたい」「生きていたい」生き物

 

私は、脳みそだけになっても生き続けるよ

 

 

自殺?

自殺を考える様な事象が起きなければ、ソイツは自殺しないんだよね………

 

 

      楽しく生きていたいんだよ