先日……普段から私が『もんにょりの師』と崇め奉る「まけもけ大先生」から
『お経をあげる理由』を宣べよ
との御下知があったので、お経をあげる意味を記載していく。
お経をあげると言うのは一般的に
僧侶にお経を経読してもらう(あげてもらう)
僧侶がお経を経読する(あげる・あげてあげる)
の2種類。
檀家自らか経読する事もあるけど、一般的とは言えない。
まず…………
僧侶が自分の寺で本尊に向かって経を読む…
これには個々の僧侶が様々な『想い』や『意味』を様々なサイトなどに書いていて、昨日会った僧侶数人にも、試しに聞いたけれど…まるで一貫性がない。
つまり…精神的な理由は後付けで何でも良いって事。
では私の第3者的な見方で言うと…仕事。
ルーチンワークだ。
お経に書いてある事……ってな~んだ?
釈迦の言葉や各宗派の始祖の言葉や物語や信仰告白だ
こないだ書いた『般若心経』も同じ。
『空』の解説を大日如来に偉そうにすると、大日如来に『お前、何様だ!』と怒られる。
結局は…本尊に対して『私はキチンとあなたを信仰しています』と告白しているってワケ。
また、死んだ人間に対して書かれている経は、死んでからの49日間に輪廻からの解脱、解脱出来なかった場合に人間界に生まれ変わる方法が書かれているチベット仏教の
『バルド・トェドル(死者の書)』だけだ
しかし、このルーチンを正しく深く行っているか?は葬儀、法要での『法話』に現れてくる
お経を読むのと『法話』はワンセットだからだ
そして……
私達にとって、お経をあげてもらう理由、特に葬式、法事(法要)では……ただ一文字
『折』(おり)だ
節目とか区切りとかではない。
ターニングポイントの事。
葬儀や法要で僧侶が経を読むワケ……これも僧侶曰く各宗派、個人で様々な答え方をする。遺族や残された者の為、死者に自分が死んだ事を判らせる為とか………
これもまた一貫性がない。
お経……何千種類とあるけれど僧侶も経典全ての意味を理解しているワケではない。
せいぜい自分の宗派に関係するものだけ。
私も各宗派の主だったモノと、私が興味のあるモノだけしか理解していない………
当然、一般人には読まれる全てのお経の意味はわからない。
特に死んだ者には『馬の耳に念仏』以下だ
1万歩譲ったとして……
お経の意味がわからない一般人が死ぬのだから、霊魂があったとしても、僧侶以外の一般人の霊魂にはお経の意味はわからない。
死者が生者より知っている事は
『死ぬ』という事と『死んだ後』の二つだけ
だから「死んだらお経の意味がわかる様になった」などという事は絶対にない。
では何故読むのか……
既にいにしえよりお経は有難いモノと言う潜在意識に書き込みがされていて…
仏式の葬式、法要では必ず読まれると言う一般常識が出来上がったいる事。
遺族は葬式でお経を聴く事で……潜在意識への
『今までの自分の人生から、次の道乗りへ進む事の合図』としか言いようがない。
死者の霊魂が居て、その辺をふらふらしていても…死者の潜在意識が『有難いお経を聴いたのだから成仏しなければならない』と思って浄土に向かえるっていう寸法だ。
節目とか区切りとかではないのは…
私達は産まれてから死ぬまで、
前から流れて来る時間に付帯して来る『縁』の流れをサーフィンの様に波乗りをしている。
そして波乗り(サーフィン)して一番の急カーブである自らの『死』に向かって乗りつける。
その諸行無常 諸法無我の時間に、目印(節目)やくさび(区切り)を付けても無常だから消えてしまう。
だけど『折』は方向を変える事。跡は残らずとも、以前とは違った道乗り((縁)故人がいない)に進んで行く。
そして………経読より重要な事。
バイクでも自転車でもカーブで速度が遅いと転ぶし、自動車だってカーブで遅すぎると交差点やカーブで渋滞が出来てしまい、在らぬ事故がおきる。
だから……葬儀や法要と言う『折』と言うカーブでは、
経読よりも素早く安全にターンする為の慣性力となる僧侶の
『法話』
が強い意味をもつ。
特に『枕経』の後の法話や何気ない言葉
この記事に頂いた慈雲寺住職である隨麗 (id:jiunji) 様からのコメントでも『枕経』について触れている
私達が、一般的な仏式の葬儀で数多く檀家を紹介する住職は『法話』が上手いからこそ紹介する。
時には他の宗教の話からも(聖書など)引用する。
仏教では六十二見(あらゆる思想、哲学、宗教)から空(くう)に至る方法を見つけなさいと教えている。
『あらゆる教えを否定しない』のが仏教。
法話が上手い僧侶は『経の意味の裏側』まで理解しているから『遺族や故人の生き筋』に沿った解釈をして話をしてくれる。
キチンと日々仕事をしているからだ
枕経があり法話があり、通夜の経読があり法話があり、告別式の経読があり法話があり…
この法話あってこそ
『お経を読んだ』意味が発生するのです。
今、遺体がやって来たので、
法話についてはまたの機会に………