死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

生きる事に執着する事は恥ずかしい事なのか…?私が尊厳死に思う事

 

私は死にたくない。

 

死ぬのが怖いから生き続けたい。

どんな姿になっても死にたくない。

 

死後、臓器を提供するのも嫌だ。

 

そう真剣に思っていて何が悪い…?

何が恥ずかしい…?

 

 

尊厳死』って言葉がある。

 

凄く簡単に言うと『自分の死に方や死に場所は自分で決める』って事。

 

 

世間一般的に…例えば

末期癌で余命が4ヶ月とか言われ、無駄な延命治療をせず自分らしく生きて…自然に死んで行くってとこか…

 

樹木希林氏など、様々な公人がそんな死に方を選び賞賛された……

 

 

 

あるホスピスに生前予約をくれていたじいちゃんが夜中に亡くなり…

近所に居た技術ラボ長が寝台車と一緒に病室まで迎えに行った。

 

他の病室から…死にたくない断末魔の唸り声が聞こえていたそうだ……

 

 

 

早朝に事務処理などで遺族と専務がホスピスに再訪したら亡くなっていて…何処かの葬儀社が迎えに来ていた。

 

エントランスに居た遺族の話が聞こえてきて…肺ガンだったみたい。

 

 

 

普通……

意識など無くなっているにも関わらず…

自ら死ぬ事を受け入れ

このホスピスにやって来て

 

 

モルヒネで痛みは抑えられても…

鎮静剤で意識を落とされても…

 

 

     『死にたくない!』

 

 

生物の本能は抑えきれない。

 

 

結局、この患者さんは死を受け入れていない

 

 

 

でもね、これで良いのだ。

 

 

幾ら本やら何やらを読んで死を受け入れ、悟ったつもりでも…

死ぬ三日前に治療薬が開発され、治る確率が相当高いなら全員、薬を使って生き続け様とするものだ。

 

 

でも…

くだらぬ終活や、海外での尊厳死のニュース、カッコいい死に方が持てはやされ…

 

しかもどっかの仏教かぶれが

 

 

『生きる事に執着する事は恥ずかしい事』

 

 

だと受け取れる…

死ぬつもりも勇気も無いクセに…

のたもうブログ記事や論評が散見される。

 

 

格好良く見えるし、そう有るべきとの同調圧力もあるけど

 

私はそれらを全否定する、死を美化するな!

 

生物ならば、自分が生きるのに殺した命の為『生き続ける事』に執着しろって……

 

 

 

むろん、自分や自分に関係している命ではないから、どんな死に方をしても私には関係がないし直接面と向かって言いもしないけどね…それこそ尊厳があるから

 

延命治療でろっ骨が全て折れ…

チューブだらけ、排泄も自分では出来ない…

意識もなく生命維持装置がないと生きていられない。

脳死と言われても生きていたい。だから臓器提供など絶対にしない……


f:id:however-down:20190216120845j:image

  

 そこまでしてでも老衰する

       それだって『尊厳死』だ。

 

 

 

今一度、生き続けるって事を考えて欲しい。

 

 

 

  (あるブログ記事を読んで…

           私が思った事)