死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

苫小牧市のピエタ像

 

先日、我が社の

標準的なカトリック背教者であるキャンディが、来日以来……と言うか十数年ぶりに葬儀以外で教会を訪問した

 

彼女は別に祈りに行ったわけじゃ無い。

 

 

東京カテドラル聖マリア大聖堂………

中が綺麗なので、葬儀で使うプロジェクションマッピングのデザインに使えるアイデアを探しに葬儀演出の女の子と見学に行ったわけ

 

 

ここはミケランジェロのサン•ピエトロのピエタのレプリカがあるけど、

ホスピスにあるピエタと違って、何か当たり前過ぎて心にグッとくる感じがしないとも言っていた。

 

 

これには私も同感なんだよね……

 

それに

 

 私はこの聖堂のレプリカピエタじゃ無い

     日本人のピエタを知っている

 

 

私達が仕事で北海道の都市に向かう途中、苫小牧市の市民会館の横にあるこの銅像


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江戸時代、この地に入植した

勇払千人同人」隊長の銅像なんだけど、ピエタは…その下の子供を抱く奥さんの像だ

 


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千人同心のひとり河西祐助とともに入植した妻・梅が女の子を出産しますが、北国の厳しい生活で体調を崩し幼子を遺して亡くなりました。

その後、赤子を抱いた幽霊が出没し、夜な夜な墓地から女の泣き声や「この子にお乳を飲ませてください」と訪ねる声が聞こえるという噂話が現在民話として伝わっています。

 

 

 

出張の帰り…ちょっと時間潰しに

市民会館横の科学館を見学していた時に見つけた。

 

私は大学の時、彫金や木目金、彫刻を専攻していたのでこの様な像があると観察する癖がある。

当然、この像も癖の対象で見て直ぐに

  「あぁ…これピエタだ」って思った……

 

 

で、上の引用サイトを見ると

なんと死んで幽霊になった母親と赤ん坊の像だった。

 

ピエタはイタリア語で「悲しみ」って意味で、ミケランジェロピエタ聖母マリアがイエスの死を受け入れる……つまり

 

     「死の受容」を表している。

 

 

 

ホスピスなんかにあるのもこの様な意味があっての事。

 

しかし、勇払千人同人の「赤ん坊を抱く梅さん」の像や、この

 


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棺桶の中で子供を産んだ「幽霊子育て飴」の母親は幽霊だ。

 

 

 

これ、キリスト教ではあり得ない事。

 

何故なら、ヘブル書9章27節に「人間は、一度死ぬ事、死後にさばきを受けることが決まってる」と書かれていて

 

キリスト者は天国へ(第二コリント5章6-8節)

それ以外は地獄行き(ルカ16章22-24節)


故にキリスト教では、死んだ人間の肉体から離脱した霊がいることは絶対に無い

 

 

エスを抱くマリアも

二人の死んだ母親が赤ん坊を抱く図と像も、「死の受容」を表現しているけれど、

神が受容を促し、マリアが自分の子供の死を受け入れる

 

しかし日本の作品に付帯する逸話は、最初から最後まで、生きていても、死んでいても、あくまでも人間が主人公で

 

 

ミケランジェロは「神の慈愛」

日本の像と図は母親の姿を借りた「人の慈愛」

 

 

クリスチャン以外の日本人にはどちらが受け入れられるのかな?

私は人間臭いのがいいなぁ

 

 

   私はキャンディにそう話した……………

 

 

………………今朝…

 

  現在、北海道に居るキャンディが

 

    「ボス、銅像見たよ~」と

 

昨晩降った様な雪景色の中、一緒に写る画像が送られて来た。

 

 

彼女は如何思ったのだろうか…

 

彼女に頼んだ「北菓楼」の胡麻ダレ団子とシュークリームを子供達と食べながら

 

 

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