世界は『欲求』で進歩してきた
世界は『欲求』構成されていると言っても過言ではない。
三密加持を行い
『即身成仏(※ミイラとは違うミイラは即身仏)』
した真言宗の僧侶でさえ欲求を棄ててはいない。
なぜなら『欲求』はこの世を生き抜く為に不可欠な要素だから。
生物が生存し続けたいと思う一時的欲求
人間が人間らしく生きたいと思う二次的欲求
そもそも欲求を持っている私達は生まれつき汚れた存在ではない。
真言密教では、「自性清浄」
天台宗の「本覚思想」があり…
この事は仏教宗派で経読される
の本題の巻頭部分や
『大日経』
でも肯定されている。
これは仏教の
『公理』
の一つと言っても過言ではない。
『資本論』
の影響を受け建国した社会主義国家は崩壊してしまったに等しい。
『人の欲求』
をナメていたからだ…
この欲求を更に追い求めたモノを
『煩悩』
と言う。
仏教にはメタファーとしては書かれていないが
旧約聖書の創世記には
ヘビに唆され『禁断の実』を食べる
(創世記 3章 1~7節)
実を食べた事で得た『知恵』ではなく…
この『ヘビ』こそが
人が人たる為に必要な『煩悩』なのだ。
世界は『煩悩』で進歩してきた
この世界は『煩悩』構成されていると言っても過言ではない。
煩悩を棄てろと言う人がいる…
例えば…
数冊、自己啓発本を読んだ稚拙な精神論者
少し般若心経をかじった定年退職後、人生が上手くいってない自称仏教論者のおじさん
清貧の思想にとらわれた人
自己承認要求の塊になってしまったスピリチュアリスト
など……
彼らを見ていると…
幸せそうに見えてこない。
『自分は幸せなのだ』
と自分に言い聞かせている様にしか見えない
私は『煩悩』の塊だ…
物欲、金欲、色欲(女の色欲はモノを集める)名誉欲………
どれも超MAXの欲望を持っている。
私を遥かに超える才能や煩悩を持っている人達が政治経済を世界を動かす。
精神論者や宗教者、清貧論者が世界を動かす事は出来ない
中東の情勢を見ても…争いが続いている国は宗教思想が根本の国作りをしていて…
国民は皆貧しい。
宗教者や精神論者の能力は人々を動かす程強くないし、政治力など殆どない。
ここでジオン公国のギレン総帥の言葉が使える
『敢えて言おう、カスであると!!』
人は死ぬ時…煩悩で集めたモノを全てこの世に置いていく。
全ての生物の『理(ことわり)』だ。
世界は『煩悩』で進歩し『煩悩』構成されていると言っても過言ではない。
私も…煩悩の世の中を
創世記の蛇として………
牛頭馬頭と手を繫ぎスキップしながら
冥府魔道を煩悩丸出しで生きていく…
法然上人もこの様に言っている…
炎は空に上がっていく
水は低い方へ流れていく
すべでは、自然のまま
あるがままなのだ
煩悩を持って生きる生き方……
これも生物の『理(ことわり)』なのだ…