…………つづき…
灯明を灯すのも意味がある
さて……
あの雷のおじちゃん…ベンジャミン・フランクリンが言った言葉に
「天は自ら助くる者を助く」
凄い簡単に言うと
神様、仏様、無残様は自分を自分で助ける(自力で奮闘する)者だけを助ける。
自力で頑張らない者は、神様.仏様.無残様だって見捨てるよって事。
これはキリスト教圏だけの話じゃ無い
仏教でも同じ意味の物がある
それが灯明(ロウソク)なの
これ、故人や先祖なと死んだ者の為(あの世とこの世の懸け橋)と言うより
生きている者へのメッセージの意味が強いんだよ
釈迦が死ぬ前、残した言葉の中に
「自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)」ってのがある
「自灯明」というのは自分自身を頼りにすること、「法灯明」は理(ことわり)を頼りにするという事
仏壇に供える2本のろうそくの灯りは
左「自灯明(じとうみょう)」
右「法灯明(ほうとうみょう)」
と言われ………
「自灯明」は
生き方に迷った時、自分を信し、自分の考え方や価値観をもとにし、簡単に他人の意見に左右されず、自分自身の光を信じ生きなさい
「法灯明」は
全てのものは “縁起” と言う関係性と「諸行無常」の理(ことわり)の中で成り立っている。これは普遍的な真理が「法」
つまり、迷った時「法」の真理と言うものを基礎として、自ら考え抜いて行動しなさい。「自助努力の重要性」を、あの一対の灯明は教えているって事だ。
まあ、様々なご意見はあるけれど、廃業していく飲食店なんかが良い例だね。
廃業していく飲食店は、1波が落ち着た時、なぜこの様な事態に備えてないの?
つまり「自助努力を何もしてない」って事。自助努力を真剣過ぎる殆どやれば、潰れてないし。新しいサービスに客が喜んで殺到し、客が助けてくれる。
民間病院も「法」に反しているだろ。
私達は、自灯明 法灯明をやってるよ
縁は円とも言うからね、回り回って自分の所に「因果応報」って形で帰ってきていて、更に利益が増えた。
ウチのカナダ人、キャンディや車いすの梨子ちゃんは、涙ぐましい自助努力をして、遺族や親族、幼児に引っ張りだこになった。
正当な努力はね、自分や周りの人達に寄って、実を結ぶんだよ
読者の皆さん「自助努力」をやってますか?