死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

死んだら、気持ちも一緒に死なんといかんが?

 

昨日の出来事には続きがある。

 

 

       遺影を如何するか

 

 

年配の方は結構写真が残っているけど、

私達世代ではスマホガラケーにデータとして存在する為に、紙ベースのは殆ど無い。

 

そんな時、友人に連絡を取り故人が写っている画像を借りて編集したり……故人の携帯のSDカードを確認して遺影を作る。

 

この故人は自殺故に友人には話せない

“不幸中の幸い”でスマホは壊れていたけど、SDカードは無事で一人きりの父親に本人の確認をして(顔が無いから分からない) 可愛らしい遺影が出来た……………

 

 

 

……………昨日、私は休み。

昼近くまでゴロゴロ。動物家族の皆でお昼ご飯を食べて…またゴロゴロ。

 

ゴロ付ながら“ふと思う”

 

 

      あの人、何で死んだのだろう

 

ってね………

 

あのSDカードの中には、友達と楽しそうにしていたり、幸せそうに彼氏と写っている画像が有ったんだよね……

サムネイルに寄ると、彼氏とは1年前くらい、あらゆる画像は2カ月くらい前が最後の画像。

 

 

あの画像を見ると

 「本当は死にたくなかったんだろうな…」

 

あの2カ月に何が有ったのか……

そう思うんだよね。

 

 

私が子供だった頃

  こんな映画があって

 


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映画の中にこんな言葉がある

 

「死んだら、人を好きゆう気持ちも死なんといかんが?」

 

 

気持ちは死なない

「死ぬ」と気持ちは、澪(みお)で繋がれた「縁(えにし)」の中で生きる。

    

    その場所は人々の記憶の中。

 

 

皆が、故人を思い出すと、

記憶の中で故人が自由に喋ったり動いたり、若返ったり歳をとったり

友人と話すと「縁と縁」の澪(みお。水路の事)を伝い結ばれ……

 

    二人の記憶の中で話し出す。

 

その故人を知らない人の中だって故人の事を聞くと、妄想の中でさえ生きる事が出来るんだ

 

 

でもね…………

あの様な死に方であの様な姿になると、思い出の中の故人にキズが残る

 

人々の記憶の縁に残るのは、最期の姿

だから私達が完璧な生前の姿に復元し、良き思い出になる様にするのだ

 

 

復元の依頼を受注し、今も後輩社長が復元している。

 

 

万葉集の中には

 

鯨魚(いさな)取り 
海や死にする 
山や死にする 
死ぬれこそ 
海は潮干て 
山は枯れすれ

 

(大意:海は死にますか?山は死にますか?いいえ、海も山も死にます。死ぬからこそ潮は引き山は枯れるのです)

 

この世に存在したものは

必ず終わりが来る。

 

目に見えるもの見えないもの、記憶の中の故人も、等しく終わりが来るのが定め。

 

だからこそ

人々が良い思い出として語り継ぐんだよ……

 

 

そうすれば、故人は「縁」の中ので永遠に生きていけるのだから……

 

 

  ……………愛は死にますか 心は死にますか