山谷(さんや)と呼ばれる地域……
皆さんご存知の日本三大ドヤ(簡易宿泊所ヤド)街の一つ。
矢吹丈のふるさと
アーケードが無くなったからなのか…
今はそれ程ヤバい雰囲気は無く、ドヤも数少なくなった。
私が納棺師を始めた頃は、まだホームレスのオッチャンがかなり居た気もしたけど
最近は年寄りと安い宿泊料金を求めているのか、外国人観光客が増えた様な気がする。
前回はラブホテルの鶯谷でやったけど…
この間の金持ち体験会はこの街で行った
雰囲気が変わったとはいえ、やっぱり若いお嬢ちゃんの一人歩きは怖い。
山谷地区はドヤだけではなくて、周辺には古いアパートや荘があり……
身寄りが無い様な年寄りがまた大勢住んでいる。
そんな外れに住んでいる
90歳近いばあちゃんのアパートに、ウチのグリーフケアボランティアが訪問している。
内縁関係だった爺ちゃんの直葬からの付き合い。
この内縁夫婦も…多分に漏れず社会との接触を嫌い子供もいない
福祉のNPOや役所の職員とも繋がりが切れていたが
今ではウチのボランティアを介して社会との繋がりが戻りつつある。
先日の定期訪問で
『ウチの会社には、赤ちゃんや小っちゃい子供がいっぱい居る』話になって……
『今度、連れてくるね』
とボランティアの女の子達が約束してしまい…
専務は難色を示していたけど
『考えてみればこの子達、あとちょっとで死ぬ人間と接触した事が無い』
と1部長の発言で専務も折れたとの事。
今日お子ちゃま3人とボランティアの女の子、お母さん社員の一人が訪問。
ウチの子供達は、顔の色艶が無くなって、歩くのがやっとの婆ちゃんは…かなり刺激的だった様で……
すっかり固まってしまったけど、
換金されなかった大昔の軍事国債を見たり、
古い写真を見ているうちに打ち解けて来たみたいで…
年長のお子ちゃまが持ってきたザラメ糖、重曹で『カルメ焼き』を作ったそうだ。
この間死んだ婆ちゃんが、ウチの子供達に残したもの。
あのカルメ焼き婆ちゃんは子供達の縁起の中で今も生き続けている。
思えばあわれ 一八の春に
親のみ胸を 離れ来てより
過ぎ来し方を 思いてわれは遠き故郷の み空ぞ恋し
流浪の旅 作詞 後藤紫雲 作曲宮島啓二
この『流浪の旅』は婆ちゃんが寂しそうに呟く歌……
そんな…時間が昭和のまま止まっている人々がまだひっそりと暮らす街。
この婆ちゃんと
この山谷……
お子ちゃま達に何かを残す
お子ちゃま達は受け取ったものを
どう生きる術とするのだろうか……