死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が謙遜.誇大などせず、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

いい加減に…『目ざめよ!』クリスチャンども!

 

疲れたもの、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて上げよう。

           マタイ11章28節

 

この聖書の一文は全てのキリスト教の宗派が掲げ…

一般的にキリスト教は『癒しの宗教』と言われるのはこの為だ。

 

しかし……ありとあらゆる神父、牧師が余計な場面、場所で使いやがる(--#)

 

 

 

当社の社訓は『利潤の徹底追求』だったけど、社会的に何か格好が付く何か?の必要性に迫られてしまい

 

『当社は遺族、親族、参列者、宗教者に抵抗してでも遺体・故人の尊敬を守る』

という事になっている。

 

だから、宗教者にはビジネスパートナーと接していて、ローマ法王でも、ダライラマでも『敬う』などありえない。

 

それは葬儀の真っ最中でもだ

 

 

 

今の世の中……仏教徒でもキリスト教徒でも生きる事に疲れ…自殺する事がある。

 

 

以前、自殺したクリスチャンの葬儀を受注し、私が当該葬儀の総号令になった。

 

仏教でいう『枕経』にあたる『納棺式(プロテスタント)』で、馬鹿な牧師が……

あの…神の宝刀

 

疲れたもの、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて上げよう。

 

を引用し、事も有ろうに…

 

彼女は今、天国で重荷を降ろして幸せになりました…(^^)/

とのたもうた……(--#)

 

それを聞いていた親族や遺族の両親は少し考えてから露骨に変な顔をした。

この言い方だと、この世では誰も彼女の重荷を降ろさせる事もせずに、ただ傍観しただけ。

誰一人、彼女に手を差し伸べる事をしなかったという事になる。

もちろん死ぬ直前まで通っていた教会や牧師もだ。

 

キリスト教では本来、自殺は大罪であり、真っ逆さまに『地獄の門』を潜り地獄に堕ちる

いつからそんな簡単に天国に行ける様になったのか不思議な話。

 

 

だがもっと問題な事は、牧師が『自殺』を語らず当たり障りの無いように…

遺族を含めたその場にいた参列者に対して

同調圧力』を掛けた事だ。

 

とりあえず式も終わり…

家からノコノコ出てきた牧師を捕まえて

 

『アンタ何ふざけた事を言っている。明日の前夜祭(通夜)で、きちんと話さないと教区に通告するよ!』 

 

と言ってやった……しかし前夜祭では

あの言葉は使わなかったけど…なあなあな説教しかしない。

 

遺族は自殺した娘が天国に行けるのか?行けたのか?を気に病んでいるのに……

 

 

 

前夜祭の最後に…ムカついた顔をしていた司会の専務が……

今でもハッキリ覚えている…絶対に忘れられない当社からの挨拶をした

 

 

『彼女は不幸な亡くなり方をされました。

私達は、マタイ11章28節

 

疲れたもの、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて上げよう。

 

このイエス言葉が、神を信じる者として何を指し示すのか?を、これから改めて考えていくのです。

 

彼女の為に今一度、祈りを捧げます。

参列者の皆さま、ご起立下さい』

 

と言って以下の祈り始めた。

 

 

神よ…
御子キリストは、わたしたちに約束されました。


『わたしは復活であり、いのちである。
わたしを信じる人は、死んでも生きている。
わたしを信じて生きているものは、すべて永遠に死ぬことはない』と。


いつくしみ深い神よ、この世からあなたのもとにお呼びになった。

彼女を、お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。


すべての罪の絆から解放されて、永遠の光のうちに迎えられ、救われた人々とともに、
復活の栄光のうちに立ち上がることができますように。


主キリストによって。

アーメン。

 

すべての慰めの源である神よ、
あなたは永遠の愛をもってわたしたちをつつみ、死の暗闇をいのちの夜明けに変えてくださいます。


悲しみに沈むあなたの家族を顧みてください。


キリストの恵みに支えられて希望に生き、人生の旅路を終えて、ふたたび兄弟とまみえ、わたしたちの涙がすべてぬぐわれますように。
    主キリストによって。アーメン。

 

 

これは臨終直後に唱える祈りだが、今の故人にぴったりの祈り。

専務は丸暗記していた……… 

両親も真剣に祈りを捧げていた。

 

 

完全に無視された牧師は呆然としていたが…

当然、牧師は後で私が叱り飛ばした。

 

 

この葬儀だけの話しではない。

 

あらゆるクリスチャンのあらゆる宗派の神父、牧師が前夜祭で使う

 

マタイ11章28節は

 

本当に疲れ果てた人に癒しを与える為に使う言葉なのだ。

 

そしてクリスチャンはこの聖書の言葉を信仰の基本として心に深く刻んで、自身の今の行動を見直して頂きたい。

 
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牧師・神父は、普段はこの世で重荷が降りるかのように話している


『この世』で重荷を降ろせず自殺した人に関しては『あの世』で重荷を降ろしたことにして信者に取って不都合な事をうやむやにする。


こんな『ご都合主義』の宗教だから、同じ神を信じる者同士で何百年も争い続けるのだ

 

いい加減……『目ざめよ!』