死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が謙遜.誇大などせず、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

生きた赤ちゃん、死んだ赤ちゃん…歎異抄と縁起

 

早朝…というより……今日の深夜

 

産婦人科に胎児の『遺体処置』に呼ばれて訪問した。

 

この病院では目立たない様に夜中に死亡退院させる事が多い

 

だから私達も普段着を着ていく旨を伝える

 

 

遺体を引き取っいる時、分娩室の前で歓声が上がる……

無事に赤ちゃんが生まれた様だ。

 

 

生きて産まれる赤ちゃんと死んで産まれる赤ちゃん。

生きた赤ちゃんを産んだお母さんと

死んだ赤ちゃんを産んだお母さん………

 

この大きな違いは『縁起』としか言いようがない

 

 

縁起について書かれた良い文章がある……

 

 

 

………またあるとき聖人が、 

 「唯円房はわたしのいうことを信じるか」 

と仰せになりました。 

 

そこで、 

 

 「はい、 信じます」 

 と申しあげると、 

 


「それでは、 わたしがいうことに背かないか」 

 

と、 重ねて仰せになったので、

つつしんでお受けすることを申しあげました。 

 


すると聖人は、

  「まず、 人を千人殺してくれないか。 そうすれば往生はたしかなものになるだろう」 

 

と仰せになったのです。 

 


そのとき、 

 


聖人の仰せではありますが、 

わたしのようなものには一人として殺すことなどできるとは思えま せん」 

 

と申しあげたところ、 

 


「それでは、 どうしてこの親鸞のいうことに背かないなどといったのか」 と仰せになりました。

 

続けて、 

 

「これでわかるであろう。 

 


どんなことでも自分の思い通りになるのなら

浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、  すぐに殺すことができるはずだ。 

 


けれども、 思い通りに殺すことのできる縁がないから、 一人も殺さないだけなのである。

 


自分の心が善いから殺さないわけではない。 

 


また、 殺すつもりがなくても、 百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろう」 と

仰せになったのです。 

 

 

このことはわたしどもが、 自分の心が善いのは往生のためによいことであり、 

 

自分の心が悪いのは往生のために悪いことであると勝手に考え、 

 

本願の不思議なはたらきによってお救いいただくということを知ら ないでいることについて、 仰せになったのであります。

 

これは…

親鸞に師事した唯円が、変質しつつある親鸞の教えに対し、イラついて書いた『歎異抄』の一部分。

 

人間などあらゆる事象は『縁起』によって決まるとの文章だ。

 

子供や動物を虐待したり殺したり殺されたり…

その大罪が発覚して『死刑』になる(いや…死刑になれ!)のも……

全て『縁起』。

 

この死んだ胎児ちゃんを私達が引き取るのも縁起なのだ。

 

殆ど人の型になっていたはずなのに

どの様な流産だったのかは判らないけど…

掻爬されたのか吸引されたのか…かなり崩れてしまっていたので体にも欠損がある…

しかも…なんか頭が小さい…

 

産まれて来ても長くは生きてはいられなかったかも知れない

 

私達は両親に見せる見せないは関係なく復元できる胎児は人の型に復元する

 

先ほど私がCADで欠損部位を設計を行い……

技術子会社の発達障害の彼が作成を担当する

 

あくまでも『人』として弔うのが私達の流儀

 

多分、男の子?の胎児ちゃんは、火葬まで私のマンションで過ごす。

 

これも縁起なのだ……

 
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追記………

※※早朝、大阪で地震があったけど

『神を信じなさい!』などと言うクリスチャンが必ず湧いてくる(o_ _)o

 

そんな事を言うのは

『低脳で狂人のクリスチャン』だ。

 

話なと聞かない様に。耳が腐るよ

 

いつか

「疲れたもの、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて上げよう。」 マタイ11章28節

 

について書こうと思う。