死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

人も、“虹の橋を渡る”と言って何が悪い

 

……輩のご高説なんかどーでも良い…

 

「ふーん」


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と、ウチのバイトちゃんは呆れ……

 

私は吐き気がした ( ̄0 ̄)


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昨日 hiwa1961さんが、(id:hiwa1961)


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とコメントをくれて、調べたのが

この記事

 

まあ何でもごちゃごちゃ言うわ ( ̄。 ̄;)

お笑い通り越して、可哀想な人達過ぎて草がモジャモジャ生えたわ(www)

 

つまり「虹の橋」って表現は「ペット」に使うもので、人に使うのは如何なものか?

って因縁をつけてるわけだけど

 

そもそも

「虹の橋」の元になってるのはこの詩で…

 

読んで…少しイメージすれは簡単に分かるよ

この詩は全ての生き物は○ぬって「理(ことわり)」を肯定し、爽やかに受け入れられる様に書かれいる

 

だから

虹の橋を人に当てはめる事に問題はないの


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(これは大昔のレコードジャケット  リッチーブラックモア レインボーの “ライジング” )

 

ごちゃごちゃ言ってるのは、世間に相手をして欲しい寂しい輩と、宗教者くらい……

 

     輩のごちゃごちゃは鼻で笑うだけ

 

宗教者の場合は古代、誰かの語った○んだ後の話しと合わないから因縁をつけてるわけで

因縁つけるなら自分が一度○んで、見てきてからつけろ

 

          どっちもくだらないな……

 

つまり


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って事だ

 

宗教者がそんなだから「フランダースの犬」で、ネロとパトラッシュ

 聖母マリアに次ぐ2例目の

 

         「被昇天」

 

をする事になったんだ。

 

クリスチャンであるはずの著者もこの時は「神」や宗教が邪魔だっただろうね

 

まああれだ

人の数だけ逝き方もあれば、行き方も、送られ方もある

 

      いちいち意見するな

 

            ……桃子の日誌…