死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

喜捨は少額で良い理由

 

「溺れる者ワラをも縋る」

なんて言うけど、


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ワラにすがり、既に掴まされいるのを気付かないってのは既に手遅れだよ

 

今日はお休み。

なので昨日は少し早く帰って動物家族とお風呂でゆっくり疲れを癒す。

ネットでもテレビでもまだ統一教会やってるね。「統一教会と接点がある政治家探しばかりで、これから如何するのか?って事を言って無い」と誰かがツイートしていたみたいだけど、100%正しい意見だな。

 

始まりは安倍氏襲撃犯の母親が統一教会に有り得ない額の寄付をしていて、まだまだ世間にも同じ様な寄付をし、家庭などを崩壊させている……

この一番重要な背景の問題視は、もうどうでも良いみたいだね

 

そもそも「寄付、布施」とは喜捨とも言って、喜んで資産(主にお金)や労働力を(宗教者に)捨てる事だ。

いつも施しを受ける者が、逆に施す事で執着を捨て徳を積んでいくって行為。世界のあらゆる宗旨、宗派に必ずある

 

 

これ、葬儀や法要の時に宗教者に支払う布施とは性質が異なる

「布施は宗教者への報酬ではありません」なーんて言ってる人も居るけど、葬儀や法要で読経したから施主は布施を払う。もはやそれらに対する「対価」意外に思い付かない

 

これが無いと施設経営や副業を持っていない宗教者は、生活出来なくなる。布施や喜捨は宗教者にとって重要な収入なんだ。

 

喜捨は…例えば孫が車の免許をとったので、爺ちゃんが可愛い孫の為に喜んで新車を買ってあげたとか、

寺の屋根から雨漏りするので檀家の皆さん寄付して下さい(一口5万円で2口以上なんてのもある)

つまりお金等をあげた人から具体的対価を求めず、しかも笑顔で「喜捨させて貰いありがとう」と言わなきゃならないお金の事。

また、貰う側も喜捨を求めては成らないんだ

 

お互い対価が発生しないのだから喜捨は少額で充分。それなら喜捨させて貰いありがとう!と言えるね

 

なのに……

喜捨しろ!!」と信者を脅して多額の喜捨を要求するのが殆どの新興宗教だな

宗教は、親が信者で子供も信者っての以外、心が弱った信者が宗教者のセールストークに引っかかるって言うより、お互いが求め合って搾取される関係が出来上がる

 

    似たもの同士は集まるんだよ…続く………

 

          …………桃子の日誌…