間もなく敗戦の日かやってくる。
「世間一般では「終戦記念日」って読んでるけど、日本はあの日に戦争に負けたんだからそれで良い。」
今朝早くから、総務局と後輩社長宅に集う小学生以上の子供達に語る老人がいた。
この老人は、ある中堅輸入業者の創業者の子息で、当社が受注した葬儀の喪主
私達が外国で見つけたベンツ、BMWなどの車を精査して、安く並行輸入してくれる会社の現会長さんだ。
先日、私のラボ斎場で戦争関係のパネルを見た子供達が太平洋戦争に興味を持ったので
私達が呼んで話しをしてもらった
戦時中の話しは悲惨さを繰り返し語り「戦争をしてはいけない」と教えるのだけど、我が子供達はその手の話しは聞き飽きているわけで………
今日は昭和恐慌~開戦~戦中~敗戦~朝鮮戦争をどんな知恵で生き抜いて、令和まで耐える石杖を築いたのか?を話して貰った。
この一族の今日までの繁栄に重要だった事は、“からゆきさん”…
つまり「人身売買」
そしてヤミ米、ヤミ船だ。
会長の父親は、紆余曲折あって最初は斡旋業を初めた。
この創業じいさんは少し変わっていて、他の斡旋業者は村の娘を安く買い叩くのだけれど、このじいさんは、ほぼ言い値で買ってあげていたそうで、同業者から命を狙われて死にかけた事もある。
でも、娘を高値で引き取るので、噂が広まり上玉の生娘ばかりを斡旋し、莫大な富を手にする……
……………終戦の直前から敗戦は自分の“ヤミ船”で財産と遊女さん、他の資産家と共に日本へ帰国したそうだ。
じいさんは昔、娘を買っていた村に行き、米や野菜を仕入れるのだけど、
昔、世話になったからと、他のヤミ米業者より安く大量に仕入れさせて貰い、都市で販売……
朝鮮特需の時、ヤミ米やヤミ船で作った資産で正式に貿易会社を始め…今にいたる。
勿論、戦時中故に困難もあったけど、
いつの世も、自分に関わった人たちが損をしない様に、農家の事、売られる娘、食糧難で困っている人々の事を考え、知恵を絞ってやってきたそうだ。
この創業じいさんが築いたのは…
恩を売ったり売られたり……相手を決して裏切らない
今の時代まで続く信頼関係と言う人脈
「だから貴方達も、友達をよく選び
選んだ友達を大切にしなさい」
「お互いが苦しい時に出会い、助け合う事が出来た者が真の友。
貴方達の社長達みたいにね!」
そう言って話しを終わった
読者の皆さん
貴方や貴方の子供達には、自分の事と同じくらい貴方を大切に為てくれる「友」は居ますか?
人生には
もたれ合い、依存しあうのでは無く
お互い一人でしっかり立って、手を繋ぎ共に並んで歩む「友」が必要なんですよ。
これが
「人は一人で生きられない」って事なのです