一昨日、ウチのバイトちゃんが、クリスマスイブで彼氏と一晩中合体した帰り道……
道端でうずくまっているお姉ちゃんを助けた
咳をしていて……
ゼーゼー言っていてコロナ?って一瞬躊躇したけど、何かで見捨てた事を私にバレた時の方が怖くて…救急車が来るまで一緒にいて
わざわざ救急車にも乗って病院へ、警察の事情聴取にも答え
お母さん弁護士も病院に行って、バイトちゃんに経緯を聞いてから警官に尋問、連絡先は弁護士へと伝えて一緒に帰ってきた
倒れてたお姉ちゃんは喘息で、吸入薬を忘れたみたいだったそうだ。
まあ、助けた動機が……
「私が怖い」ってのが気に入らないけど
金一封(2万円)を渡した。
そんなクリスマスの夕方前……
朝方、曹洞宗のボケ寺に漫画を読むついでに座禅に行ってたキャンディと、音楽葬のリハーサルで会った。
時節柄、座禅会の後の説教は…
「助け合いと喜捨」の話し。
キャンディが
「それなら奥にある“鬼滅の刃”全巻を私に喜捨して下さい~」と言ったら
大爆笑になったそうで…
結局、喜捨は無理だったけど、なんと!全巻借りてきた
その後、私…思ったんだよね。
宗教者は寄付や喜捨を進め求めるのに、それの対価を具体的に支払ってないって。
喜捨はウィキペディアに詳しく書いてあるけと、私に言わせもらえば…
「喜捨」は、いつも助けてもらっている奴が、たまには誰かの為に何かして「徳を積んだらどうなんだい?」って事。
寺に僅かの金銭を収めたり、お金が無いなら別の方法でとか…
もちろん賽銭も同じ
「誰にでも徳を積むチャンスがあるよ」と言う全ての宗教の集金システムの一つ
今回、対価を返せってのは……
困った人々にお金を配れって事じゃない
年末、本堂や礼拝堂を開放し、ホームレスに済む所と就職を斡旋するNPOなどと協力し
年末夜を路上で過ごす最近ホームレスになった人々を、既にある無料宿泊施設よりも、気軽に身を寄せる事の出来る場所にするとか…
檀家に協力を求めて、月に1回でも食材の無料配布をするとか……
まだ漠然としか思い浮かばないけど
今こそ山門や礼拝堂の扉を開け放ち、コロナ騒動などで突然ホームレスなどになってしまった人々、特に母子家庭に手を差し伸べるべきなのでは?
今、何も行動しない貴方達宗教者を見て、開祖はどう思うのだろうね。私なら聖人なのに草葉の陰で情け無く泣いてるね。
私がキリストなら特にだ!
バイトちゃん曰く、路上で咳をしながらうずくまるお姉ちゃんを、皆イヤな顔して遠巻きに避けて行くのに……
彼女の動機は……
イマイチ不純だけど、彼女は勇気を出して声を掛け、寄り添った。
それでも誰一人、声を掛けてこなかったそうだ。
まあ…それくらい見知らぬ人に仕事以外で声を掛けるのには勇気がいるし、実際個人では救済活動は不可能に近い。
しかし宗教者なら如何だろうか?
それらNPOなどと協力したなら…既にインフラもあり、かなりの事が出来るはず
それに何故か本堂や礼拝堂って空気が違うから、やって来た者に“真の安らぎ”を感じさせる事が出来るのでは?
それだけでも立派な救済活動だよ
もう一度、開祖が宗派を開いた原点に立ち戻るべきじゃないのか?
特に仏教者。
のほほーんと葬式や法要法事だけやってると、ますます檀家が居なくなって
「大社長(私の事)仕事ちょうだい~」って頭を下げる事になるよ………