昨日の21時過ぎ……
「小っちゃな子供達が総裁を待ってるから早く来て!」
と、随行秘書に連絡が入る
運転手のおじちゃん…
少し飛ばしてくれた
昨日は今年初の猪肉三頭を入手して
総務局と後輩社長宅、二つの遺体搬送会社では「猪汁(豚肉を猪肉に変えただけ)」の日
夕方に後輩社長宅の子供達から
「ももねーちゃん、皆で作ったよ。食べに来てくれるんでしょ?」と
お誘いの電話があって、喜んで食べに行った帰りの事だ。
時々、こんな事がある
私を待ってくれる人達がいる…
今日の三人の子供達のお母さん2人は、ド田舎の葬儀にお泊まり出張、一人は泊まりたかったからで、子供達は総務局でお泊まり会。
(どうだい?
こんな事が出来る会社、殆どないんだよ。)
局に着くと……
子供達に手を引かれてちゃぶ台へ
今日の夜勤の女の子がよそってくれた
味がね……全然違う
後輩社長宅の猪汁は、キャンディが作った料亭の味。
総務局のは専務が作る「おふくろ」の味。
どちらも凄い美味しくておかわりした。
この人参、私が切ったんだよ、
このお野菜は僕。
お肉も入れたよ!って
堰を切った様に話してくれる
そして
何時の間にか…私の膝の上で寝息を立ててる…
そんな様子を運転手のおじちゃんが、微笑ましそうに見ていた。
私は……
こんな事に幸せを感じ…自分が幸せな事を確認する。
私はね、お金も沢山持ってる
この歳で社会的な地位も得た
もちろん嬉しくて心から感謝している……けどね「幸せ」って感じゃないんだよね
私の幸せは細やかな事
私の帰りを待ってくれて…
私の帰りを心から喜んでくれる人達が居る事
私を必要としてくれる人がいる事
この事を、ある因果を持ってプロテスタントの集会で話した事がある。
「神はいつも貴女をみています。その幸せは神が与えたもうたものなのです」
と、牧師は私と信者に云う。
『私の幸せは、地ベタを這い蹲り、擦り切れ血まみれの私の手で掴んだものだ。断じて誰かに与えられたものではない。
“妬む神”に出来る御業は、妬み、憎しみと争いの種を蒔く事だけだ。』
と反論したら絶句された。
今、幸せじゃないと言ってる方
幸せってね、誰かに与えてもらうものじゃないんだよ。
自分で拾い集めて…
自分でつかみ…
自分で感じるものなんだよ
朝、目が醒めた
タバコが旨かった
自販機の下で100円拾った
そんな些細でたわいもない事
そんな些細な事で“誰か”の幸せの為に頑張れるものです。
「誰か?」それは貴方も含まれるのですよ