昨日、私が更新を楽しみにしている猫P女史のブログにファンキーな記事があった。
「日本をディスりながら、型にはまりたがる矛盾が気持ち悪い 女医、とか、コミュ障、とか 結局、日本の大多数の人間と同じ、自分から型にはまりたがる承認欲求に飢えた人間だな、と、思う わざわざ型にはまりながら、日本の思考停止をディスる矛盾が理解できないなぁ… アクセスのためにわざと、なんでしょうかねぇ、わからない 人が型にはまろうがはまるまいが私には関係ないけど、矛盾が嫌いだから気になった あと、虐待の後遺症としてのADHDの可能性とかないのかな、と思った」
とのコメントだそうだか……
それが下記の記事…
コメント主が何を言っているのか…何を言いたいのか…
私にはさっぱり判らない。
猫P女史の診察方法を応用し、私が見立てると
ADHDの為に世間から省かれ、
新幹線殺傷事件の加害者みたいな危険で極端な二次障害になってしまった、劣等感と承認要求に飢えた可哀想な人の『投影』と言われる症状……だな
ADHDの人が全てこうなるワケでもなく、最近流行りの『生き辛さ』の中で懸命に…それでも楽しく生きている人が殆ど。
コメント主は自ら勝手にネジ曲がってしまっているのであって……
発達障害や精神障害と言う事を『免罪符』にされたら、周りはたまったものではない。
発達障害でも関係無く生きる人々とっては特にね……
私や猫P女史は今現在、自分の承認要求はタップタプに満たされているが……
私は……自分の会社が軌道に乗り、専務の復讐が終わった直後の頃など『自己承認要求と劣等感』の塊だった。
私は自分の承認要求と劣等感を満たす為に、私を苛め抜いた組合のオヤジや老人に対して
金と行動力と、たまに一人になったオヤジを具体的な集団暴力でメッタメタに仕返しをしていた。
可哀想…とか、やり過ぎ…とか言われ、否定される殆ど、自己承認要求と劣等感を刺激されて…
ヒステリーを一瞬で通り越し…
やがて…苛める行為自体を楽しむ様になった
私にヤラれるのを嫌がり、会議に出席し無くなった老人社長の会社にまで怒鳴り込んだりしていた。
今なら『度』と言うものを遥かに越えたモラハラと言われても仕方ないくらい。
一種の虐待だけど、そこら辺に居る虐待加害者とは違う
相手は『自分の力ではね除けたり反撃できる大人の男。かりにも創業者』だ。
絶対的に弱い立場の人間を虐待していたワケではない。
そのうち…上げ足を取り、喧嘩の口実を探す事も面倒くさくなって
それらの事は結局、似た者同士の『共食い』なんだと気付いた。
他人の評価など…『で…?』の一文字だけで済ます様になる
Salad Dayからの卒業だ……
その頃からイライラの発散の時以外、憐れみを持って度を越えた恫喝が出来る…
少し大人になった。
世の中に、劣等感や自己承認要求を持たない者は存在しない。
だから先のコメント主が、支離滅裂で意味不明なコメントで猫P女史に承認をすがり、求める行為をする事は何となく判る。
けれど、コメント主の行為は『低脳先生』と何ら変わらないな……いや、もっと低脳かも。
何故ならアカウントが消えている。
反撃を恐れているのか?
何度読み直しても…稚拙さが溢れている面白いコメント。
私の記事に対してディスるコメント主には、こんな稚拙なコメントをするヤツはいないのは幸いだ。
非表示コメントで遣り合う事も多々あり
自分が今、何をどう考えているのか?を再確認する事ができるから。
彼のコメントは…いうなれば
『一度も経営などした事が無いのに、私に経営の話をしたり、コンサルティングをしようとするニートかアルバイト…また経済学の大学講師や教授』と同じ……
誰からも認められないのは当然だね…空しい…
コメ主には自分の状態を理解し、承認要求と劣等感から早く解放され幸せになって頂きたいと思う。