この間の日曜日…大勢の某偉いじいさん達と一緒に
『万歳三唱』をした。
私と後輩社長に偉そ~にする割に
万歳が美しくない。
万歳は東条英機氏の様に、指を揃えて末広がりに腕を美しく上げるものだ。
ここの老人は
この時期…私達のイビツな人脈を利用する為にやって来るからムカムカする
彼らの権力や利益関係は、
B to Cの私達に利用価値が殆どない。
そして…超権力者であり続ける資質
『誰かを幸せにする…』これが欠けていると思う……
更に、私同様…妬み、恨み、仕返しをする
それ以来…
平将門には『引きつける何か』があって、
首塚の前を通る時に何かをあげてくる事がある
まぁ、故人のお供え物や花のお下がりだけど…
この間は茨城県に行っていた後輩社長が久しぶりに『胴塚』を見てきた。
お菓子などを置いたままには出来ないから
塚の前で運転手のおじちゃんと彼女の随行秘書の三人でコーラで乾杯して、上用饅頭を少し供えてから食べて来たそうだ。
私達は…
仕事の時、子供達に宗教の作法を教える時以外は、神仏などに拝んだりしない。
まぁ、高野山では六角経蔵を後輩社長と二人だけで回したり、三鈷の松の松葉を探して楽しんだけど……ね
首塚も胴塚も同じ…親しみは感じているが、拝みはしない。
私達が信じて拝むのは自分の潜在意識という『内在神』だけ。
『何故、拝まないのか?』としつこく聞かれ纏わり付かれるけど…
『貴方達だけがそこに居る…貴方の為には拝まない』と答える
私がここに来るのは、
平将門の家臣や領民に対する想いが私や死んだ両親と似ているし、オナラ絡みの変な親近感が湧くから。
それに将門は…
拝まれ崇められ供養され
願われる事など求めてはいない
人々の幸福や、安祥の為に行動する事をこそ望んでいる。
『将門記(しょうもんき)』に
『侘び人を助け、便りなき者を顧みて、しかして力つくす』
と、記されている。
つまり、社会的に弱い者達を助け一生懸命面倒をみてあげた人間だという事。
そして将門が持つ権力は、少しずつ民衆が望んで与えたもの…
だからこそ時の権力と対立し……
不幸にして戦には負けてしまったけれど
多くの民衆に慕われていたから祀られ
今も尚、参拝に来る多くの民衆がいて…
生前に積んだ『徳』の対価を今も尚、受け取っている。
言い伝えになっている『祟り』の事実は無く、将門は祟ってはいない。
祟る神、罰を与える神など『神』などではないのです。
貴方の信じる神や佛は、本物ですか?