死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が謙遜.誇大などせず、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

強い自分って何だ…?私の昔語り。

 

また…少しだけど昔語りをしよう……

 

昨日の記事でネオフリ先生(id:neofreudian)からブクマで以下の様なコメントを頂いた。

 

ももはなさんのブログを読むと、死を美しい思い出にする営みには壮絶な強さが必要なのだと感じます。

「強い自分」は心地よく高揚感を伴いますが、同時に寂しく醜悪でもあるのでしょうか。だとしたら、胸が痛みます

 

強い自分……よく言われて使われる言葉。

 

皆さんお判りの様に、これは腕力や喧嘩が強いってワケではない。

また、打たれ強いってだけでもない。

弱い自分が同居しているワケでもない。

社会的地位が高くて強いって事でもない。

悲しい時、泣きたい時…涙をグッとこらえる事でもない。

アタマにきたた時、怒りを抑えるって事でもない。

今書いたもの全てを持っている事ってワケでもない

 

つまり…

強い自分って言うのは特に定義はないのだ。

 

色々な小説やドラマやハテナブログなんかに

『もっと強くならなきゃ』とよくあるけれど強く成りたいところは人それぞれだ。

 

強くなったというのは自分が弱いと思う事象に対し、反復練習する事によって裏付けされ身に付いた自信。

だから当然、高揚感を感じる

 

でもそんな事すら無く、ただ権力を得ただけで強くなった自分は恐怖や、寂しく醜悪な自分を内包するのではないだろうか。

 

 

私も初めた頃は自信などなかったし、あらゆる権力者が怖かったけど…ある事件を境に変わってしまった。

 

『窮鼠猫を噛む』というが正にこれ……

恐怖から逃げる為に心の振り子が『狩る』に反対に大きく振れ、血を流しながら老人に牙をむいた

 

私達はネズミなどではなく…オオトカゲだった

 

私達の深在意識の基底部に『恐怖』があるから、恐怖感が無くなるまで止まらない。

 

私達は商売が周りより長けていたのでドンドン同業者を笑いながら潰していった。

笑いが出たのは恐怖が減った安心感からだ。

 

『仏に逢うては仏を殺し、父母に逢うてはこれを殺し、祖に逢うては祖を殺し、しかして何の感情も抱かぬ無字の境地』

 

この…文字の通りになってしまった。

 

 

やがて恐怖心も麻痺し経営者として反復した出来事によって自信がついて強くなった

 

そして役員や子会社が増えていった頃……

 

後輩社長と

 

『これではマズいから、私達は白米と味噌になろう。

後から来る者は私達より優秀なのだから…

 

オカズの味を最大限に引き出す白米と味噌になろう

 

         と決めた…

 


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白米は味がないから、オカズの味を損なわない、味噌も同じ。オカズや味噌汁の具の味を邪魔しない。

 

会社では私や後輩社長の意見は殆ど関係なく経営されていく。

それでも私や後輩社長は、気にならない

 

反復訓練のおかげで何かあっても何とかできるから。

 

少しだけど強くなった………

 

今は寂しく醜悪でもでもない……

 

上に書いた文字…葬式屋としての無門関…………

内外打成一片(ないげ だじょういっぺん)に少しは近づけたのかもしれない。