皆様ご存じの様に
高校野球(全国高等学校野球選手権)が100回を迎えた。
メディアでは過去の名勝負なと特集を組んで報道などを行っている。
でも、私はいつも違和感を感じてしまう……
違和感と言うより変な同調圧力かな……
スポーツは神聖なものであり…
……特に高校野球には
若人らしく爽やかに正々堂々、精一杯白球を追うものである事を
社会全体が要求している様に思えてならない
若人よいざまなじりは歓呼に応えいさぎよしほほえむ希望ああ栄冠は君に輝く…
『栄冠は君に輝く』の1番の歌詞の最後がそれを表現しているし……
「がんばろう 日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」
2011年のセンバツ大会の選手宣誓……
この様な内容の宣誓が言われる事を期待してはいなかっただろうか……?
スポーツ、特に高校野球には『神聖』という精神性を強く求めているのではないか?
どんなに辛くても、練習でボロボロになっても頑張り抜く……
それらを支える精神が
『ド根性』と『判官びいき』……
そのド根性と判官贔屓を支持しているのは…
体育会系的に育った人達。
彼らの殆どが団塊世代とバブル世代だ。
彼らが学生運動で戦前生まれに迷惑を掛けていたり、
団塊の世代に新人類とか宇宙人とか呼ばれながら、社会の中堅として働いていた頃はそれで良かった……
しかしバブル経済が終わり……彼らが感じるよりも更に早く世の中は変わってしまった
もう『ド根性論』は通用しない…当然、高校野球や他のスポーツもだ。
ド根性論の老害老人達が世に害悪を垂れ流している。
今や彼らの存在は日本の恥だ…
そして私達が…この様な腐りかけた伝統をスポーツに何時までも世論が求めているうちは
体育会系の人々が害悪を垂れ流す事は無くなりはしない…………