誰でも頑張れば社長になれる!
とか……
社長に学歴は関係ない!
とか……
給料を払えば社長だ!
とか……自己啓発本みたいなセリフ
でも、これらは間違ってはいない。
何故なら、法務局に登記をすれば誰でも社長になれるからだ。
しかし、開業した殆どの会社が6年……いや、3年で消えて無くなる。
しかも殆どの経営者が借金持ちになってね…
下記に非常に秀悦な記事がある。
彼のこの記事は『東大に入る難しさ』東大合格者の『努力の質』に付いて書いてある。
彼の以下の簡単なフェルミ推定を見て頂きたい
東大は毎年3000人という限られた人数しか入れない。
(文部科学省のサイト)によると高校生の人数は327万いる。一学年の人数が等しいとすれば、一学年の人数は327万÷3 = 109万人である。
109万人が全員東大を目指すと仮定し、何浪してもよくて、東大を退学して入り直せないとすれば、全員入るのに109万人 ÷ 3000人 = 364年かかる。
人間の寿命は100年も行かないので、誰しもみんなが東大に入るのなんて到底不可能であることがお分かりいただけてあろうか?
この推定に寄って、全ての高校3年生が東大に入る事は不可能と述べている。
では、どの様な生徒が東大に入れるのかと言うと
「(塾代や授業料を払える家庭環境に生まれ、高校の勉強内容を理解•応用できる頭脳に恵まれ、さらに努力できる人なら)誰でも東大に入れる。」
この推定は全く正しい。
東大卒で就職が無かった当社の常務がこれにピッタリハマる
(専務は家庭環境に問題があり他の努力で補った)
しかし、これを社長になる話しに置き換えると、大きな矛盾が生じる
全ての高校3年生が経営者になる事は簡単
自分は経営者になりたいと思う人々は明日にでも社長になる事が出来る。
つまり、お年玉程度の登記料金があり、法務局に登記すれば社長になれるのだから簡単なのだ。
でも、創業した殆どの会社は消えて無くなる。
それは会社を維持する『知恵と努力』そして『運』、それらを維持する『覚悟』が足りないからだ。
インプットがなければアウトプットはできないので、勉強せずに合格するのは不可能だ。そして努力というのは勉強ということなので、努力せずに受かるのは不可能だ。
そもそも東大合格者と一般人とでは、「勉強した」と言える基準が全然違う。同じ1時間の勉強でも、東大合格者には「勉強してない」と感じられ、一般人には「めっちゃ勉強した」と感じられる。
この引用部分…
これは会社を維持する為の努力と等しい。
『働き過ぎて体を壊したら元も子もない』
とか言うけど、
起業し軌道に乗せる事が出来る経営者と、失敗する経営者が言う『働き過ぎ』の基準は違う。
倒産させる経営者の基準は社員と同じだ
経営者は更に働かなければならない
大学受験の勉強というのは、何も受験期の一年分だけを指すものではない。小学校から高三までの合計分なのである。
私立中高一貫校の彼らは、小学校高学年から中学受験のために塾で勉強し、受かってからも塾に通い続け、塾と学校の宿題をこなしている。
その合計の勉強量でいえば、一般人のそれよりはるかに多い。彼らもそれなりに努力しているのである。自分を天才タイプに見せたくてイキってるだけだ。
彼の言う通り東大に合格している人間は、凡人の何倍もの努力をし、それを積み重ね結果を出している。
経営も全く同じ。
仕事が入れば、一人徹夜で社員の何倍も働き、維持する知恵を出して、更に働く事で、経営の実力を積み重ねていく。
判断力、選択力も同等に積み重ねられていき『経営者に必要な資質』が身に付いていく
そして『運』。
実力の有る人間には『運』もワンセットでツイてくる。
私も後輩社長も…今も18~20時間は普通に働いているし、専務も常務もほぼ同じ。…役員の女の子も、少しだけ少ないだけで物凄い働く。
彼女達は、私と後輩社長が卒業した二流芸大などではなく、都内国立大学と早稲田を卒業若しくは在学中で、
凡人とは根本的な『努力をすると言う質』が違うから、会社員が『異常な働き過ぎ』と言う事なんて普通の努力。
だから何故か『ツイてる』事がしょっちゅう起こる。
当然、彼女達の報酬は大臣並みだ。
私達は時々、若年経営者の集まりに仕方なく出席するけど、集まる顔ぶれはどんどん変わる。
いなくなる出席者の共通点は…
起業してその収入で生活する考え方では無く、
劣等感から起業して『社長』になる事を目的にしている。
だから…ウサギの糞程度、私達の百分の一の売り上げや利益で
『出資してあげようか?』などと口走る。
こんな低脳な経営者は回を重ねる毎に、潰れて顔を見せなくなる。
事情を聞くと『ツイてない』事が重なり資金もなく倒産したそうだ。
はっきり言って努力しない『怠け者』だからだ。
そんな事はない、寝ないで働いたけど潰れるものは潰れる。零細企業は景気や元請けの大企業に左右され、納品価格を下げられて…と
昔からの下町工場の若い経営者が言うけど……
親の代から積み重ねの中で『営業』と、元請けに頼らない為の『新製品』の開発を行っていたのだろうか?
『俺は職人だ!』『良い物を作れば必ず認められる』と言って……
不得意な『営業』『自分で考えて創造』するという行為を避けてきたのではないだろか?
何故ならどんな会社でも最初は零細企業だし、私達も吹けば飛ぶ様な個人商店から始めた。
それでも他の葬儀屋から納棺の仕事を貰っていれば普通の経営や生活ができた。
でも、親会社の葬儀屋の気分で仕事が来なくなると倒産する羽目になる。
私達は凄い勢いで営業したし、創造もしたよ。
下町などで倒産する零細企業は、
自分にとって都合の良いクリエイティブな理由を付けて『営業』と『創造』を怠け続けてきたツケで『運』にまで見放されて潰れる。
下町の零細企業でも、自社で創造した製品や技術を、自社で営業してきた会社は小さくても倒産などしていないし、発展していく。
要は、自分にとって嫌な『事象に置ける血の出るような努力』をクリエイティブな理由を付けて『怠ける』から失敗するのですよ。
努力が必ず報わられる日は来ない。
何故なら倒産させる経営者の努力の質は
リターンを得られる量と質が足りないからだ
次回は、自己啓発や経営セミナーに通うセミナー難民に付いて書こうと思う。
最後に言及させて頂いた京大生の彼には、
努力を惜しまず『名を残す』人物になって頂きたい。
頑張って(^_^)ゞ
あなたは必ずそうなるよ。