死体を愛する小娘社長の日記

小娘の葬儀社社長の私が、本心だけストレートに書く日記。社会 時事・各種宗教・社会哲学・古典・日々の出来事など

空海だって泣くんだよ!!ボケ!

 

本当は…昨日のお昼に見た

目から鱗のOLさんのお蕎麦の食べ方』

書こうって思っていたが……

 

同日にあったプロテスタント通夜(前夜式)と

キリスト教の『死』に対する考えについて急遽変更する事にした。

 

 

 

哀しい哉(かな) 哀しい哉(かな)

哀れが中の哀れなり

 

悲しい哉 悲しい哉

悲しみが中の悲しみなり

 

哀しい哉 哀しい哉 復(また)哀しい哉

悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉

 

 

この文は

空海が弟子を亡くした時に詠んだ 

『亡弟子智泉が為の達嚫(たっしん)の文』だ。

 

悲しくて悲しくて……

この悲しみも…全ての事象は『空』という事など分かっている空海』でさえ

 

      悲しいものは悲しい

     泣きたいものは泣きたい

 

 と言っている。

 

それは人間でも動物でも自然な事だからだ。

 

今回のプロテスタント教会の牧師は

 

『死者は神の国に迎えられた。

故人は懐かしい人々と喜びと共に楽しく暮らしている。

この世の罪(原罪)から解放された。

さあ、神と故人を祝福しましょう…』

 

と例の如く…いや、今日の牧師は更に強く言った。

 

これでは、クリスチャン以外の参列者には

 

『死んで幸せになった』

 

と聞こえる。

 

 

 

プロテスタント教派は公認、自称合わせると把握出来ない位の数がある。

 

カトリック神父やメジャーなプロテスタント牧師は神学のある大学で学んでいて、その様な事を言う人間は少ない。

 

それは聖書による洗脳教育ではないからだ

 

 

 

それ以外の自称教派は『私は牧師だ』と言った瞬間に牧師になれる。

 

そのせいか悪魔に取り憑かれた様な過度の妄想癖がある人間もいて

 

その様な発言をする。

 

キリスト教で『人が死ぬと家族や故人を大切にしてくれた人達を置いて神の国に行く。それは祝福されるべき事だ』

 

という事

 

それがキリスト教徒の目的なのだけど

 

    そんなに良い事なのだろうか?

 

 

 

私が問い詰めると…最後には…

 

『死ぬとそうなると聖書に書いてあるから』

 

などと平気で言う。

 

それが正しいのなら

 

ヤファェは自らを神と崇めさせている

 

ユダヤ教

キリスト教

イスラム

 

の教徒を戦わせ…殺し合わせて、自分の国に魂を集めているのではないか?

 

 

 

遺族には…

故人の死を思い思いの方法で悲しむ権利がある。

 

それを認めない宗教、教派は自然に対して

 

      『異端』意外に者でもない。

 

 

 

前夜式の終わりの当社挨拶で

私は…

 

可愛がっていたスズメが死んで

お経をあげて…悲しくて泣く。

 

この世は『諸行無常』『諸法無我』だと釈迦は言っているが……スズメを亡くして悲しい

だから 私は泣くのだ。

 

 

この一休宗純『スズメの葬式』の話しをして

この自称牧師の肛門に…太すぎる『釘』をさした。

 

 

 

泣きたい時に泣くのは『煩悩』

 

煩悩の世の中で生きる私達にとって当たり前であるがままの姿。

 

 

 

     人は宇宙の一部なのだから。

 

  

 

まぁ……自然の支配者たるのが『人』というのがヤファェ信仰だから

判らないのは仕方がないか………

 

 

 

ただ、他社は違うみたいだけど……

当該、葬儀に於ける支配者は総号令の営業第一部長であり

 

導師などと呼ばれ錯覚も甚だしい

 僧侶、神父、坊主などの宗教者などではない

 

 

 

 

当然、この牧師はトイプードルからケルベロスにトランスフォーメーションした

 

 

 

 


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営業部長の女の子に尻を咬まれた………

私に刺された肛門が痛いのに………

 

 

    彼女の咬み方は超濃厚だ…(@_@)